
損害保険ジャパン株式会社
- [創業]
1888年10月 - [資本金]
700億円 - [売上高]
2兆1,587億円
(2021年度正味収入保険料料) - [従業員数]
22,537名
森川 絢子
Ayako Morikawa
その環境が用意されていた
私の入社当時はコース別採用でした。全国転勤をして働き続けるイメージが自分自身で持てなかったため、転勤のない業務職を選択しました。最初の配属は金融法人部。ここで約3年業務の基礎を学びましたが、結婚に伴って関西に居住することに。これは退職するしかないと思ったのですが、ちょうどキャリア・トランスファー制度※がスタートし、さっそく活用して神戸支店に異動しました。辞めずに済んだのは本当にありがたかったです。神戸での3年目に産休・育休を取り、その間に夫が東京に転勤になったのでまた同じ制度を使って東京で復職しました。
新たな職場は法人営業の部署でした。それまでの経験を活かして業務にはすぐ対応できたのですが、育児との両立は簡単ではありません。子どもが1歳になるまで育児時間制度を利用していて、子どもが熱を出して早退することもしばしば。申し訳ないという気持ちばかりがありました。あるとき先輩から「仕事はなんとでもなる。でも母親としてお子さんに何かしてあげられるのは今しかない。いずれあなたの下にそういう社員がきたら助けてあげればいい」と言われて心が楽になりました。

復職後3年目に第2子の出産と育児で10カ月休み、同じ部署に復帰しました。業務職が廃止され総合職となったことで、後方事務からフロントでの営業にシフト、チームリーダーや次席といったマネジメントの役割も増えていきました。上司も育児中だから無理と決めつけるのではなくて「この仕事、あなたがやりたいと思うなら任せたいけど、やってみる?」と聞いてくれました。当人の意向を確かめつつどんどんチャレンジさせてくれる。会社には本気で女性を育てようという意思があると感じました。
入社から15年目の2017年に人事部の能力開発グループ(現在の人材開発グループ)に異動し、2021年4月には課長を拝命しました。もともと私は、仕事がうまくできずに悩んだことがたくさんあり、先頭でどんどん引っ張っていくタイプではありません。「管理職として自信がない」と打ち明けたこともあります。その時上司は「そういう課長がいてもいいじゃないか。だからやらないという道はない」と言ってくれました。時にはメンバーから「森川さんの思いは伝わっています」と背中を押してもらうこともありました。いまは、信頼できる仲間がいることが私の強味だと思っています。
引っ張っていくだけがリーダーシップではなく、一緒になって悩み、力を合わせて仕事ができるグループを目指しています。完璧なロールモデルではなくてもパーツのモデルでいい。私のマネジメントのある一部でも共感してくれるものがあればいい、そこを磨いていこうと思っています。
※配偶者の転勤にあわせて勤務地を変更できる制度
Career Timeline
2006
結婚相手の転勤で退職のピンチ、新制度の活用でキャリアを継続
入社4年後、仕事に慣れた頃に結婚予定のパートナーが関西転勤。地域を限定して働く社員だったので退職するしかないと思っていたとき「キャリア・トランスファー」制度が導入され、退職せず神戸支社勤務が可能になった。
2008
第1子出産。東京で時短勤務
今は子ども優先で頑張れと
夫が再び東京に転勤。もう一度制度を活用して神戸から東京勤務に。2008年に第1子を東京で出産し翌年復職。時短、早退などで恐縮する私に、お互い様、今は子どものために頑張れと励ましてくれて嬉しかった。
2017
課長代理に昇進後、人事部に異動
2人の子どもを抱えて奮闘する
2012年に第2子誕生。2人目だから楽かと思ったが手間が2倍になり大変だった。その中でマネジメントへの道を歩むことに。「自信がない」と上司に相談すると、気負わず自信がないなりにやればいい、と教えられた。
2021
課長に昇進、採用の責任者となる
私なりの“パーツモデル”を目指して
2021年4月、課長に昇進。女性活躍推進を掲げ、それがどうすればできるか、制度もマインドも整え、ハードルを一つひとつ取り除いてきた会社のおかげだと思う。これからは私が後に続く女性を応援していく。